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my まぁむ

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母の靴下が出てきた。
初めからこれが母の靴下と分かっていなくても、
母のものだとすぐに分かったと思う。
母が履き洗いたたんでいるものだから。

母がたたんだ洗濯物は、いきている。

部屋はがらんとしてた。
でも、母が洗って干してたたんでいったタオルやパジャマ、靴下、パンツの一枚一枚には
触らなくても温もりがあって、優しさと寂しさと喜びの混じった表情で
畳の上にちょこんと座っていた。

母が使った、たたまれている布団もそう。
母が宿っているような。

鼻が悪いのか?匂いに鈍感な私だけれど、
それらから母の香りを感じた。鼻でではなくて。

不思議なことだ。
もしも、私の知らないうちにこっそり母がやって来て
こっそり洗濯して帰っても
他の誰でもない母の存在に私はすぐに気がつくだろう。

昔からママっこだったけれど、
こんなに好きだとは自分でも気がつかなかった。
相変わらず、滅多に電話もメールもしないけれど。

父母への愛は血がさせるものなのかもしれない。たぶん。
でも、当時は若くて未熟だった父と母が
体当たりで必死に育ててきてくれたからだと思う。

ちょっと前までは、愛してはいても
なまはげらさんとみたいには四六時中ずっと一緒にいられないと思っていたけれど
なんだか変わってきたみたい。
長生きはするものだ。

昭和50年。
私の尊敬する自慢の母です。
(抱いてるのは姉。私はまだ胎芽ですらない。)
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by anthology11 | 2008-07-02 15:59 | その他

ドラマ

平日のお昼に「白い巨塔」が再放送されていてたまに見ています。
最初からDVDを借りてみるか、本にするか迷っていたけれど、
ブックオフで本を買ってきました。

山崎さんの小説は「華麗なる一族」以来。
濃くて長い。
でも楽しみです。

三浦春馬君はとても素敵な男性になったなーとつくづく。
朝の連ドラに出ていたときはまだ可愛い少年でした。
大河ドラマとかに出てくれるといいなと思います。
連続ドラマは長続きしないけれど、
好きな俳優さんが出ていたらちゃんと見て歴史の勉強にもなります。

女性では、
蒼井 優さんが気になります。

いつか、狂言もちょこっと勉強して
野村萬斎さんの狂言も生でみてみたいです。


さて、サッカー。
懸命な中澤選手と闘莉王選手が好きです。
しっかり応援するとしよう。
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by anthology11 | 2008-06-07 21:47 | その他

贈り物

近頃、お母さんになる友達がちらほら。

昨夜のうちに出来上がった’新生児用ミトン’。
型紙を作らなかったので、いびつ&左右大きさが違う。


赤ちゃん で思い出すこと…。
私の母は2回流産している。
確か、姉の前に一度、私の前に一度。
経済的に二人しか産まないと決めていたそう。
と、いうことは
私の姉か兄の2人が母のお腹で眠る運命じゃなかったら
私はここにいない。
家族に包まれて成長することも、挫折を味わってそれなりに苦く切ない青春を送ることも
結婚することも、秋田に嫁いでいろんなひとと出会うことも、
自然のなかで暮らす心地よさを知ることもなかったんだな…。
生命って不思議なんだなー。神秘じゃないか。
「もうダメだ」って何度も思ってもしぶとく生きてる。
事故や地震でたくさんの命が今失われているときに。
生物学上決まっていることなんだろうけれど、神秘だ。
知らなかった。

子供が欲しいと思ったことがなかった。
この頃は、子供がいてもいいかもなーなんてふと思ったりする。
もしも、私にも、いつかコウノトリさんが飛来してしっかりと着地して
立派な赤ちゃんが誕生して母というものになることが出来たら、
今度はクリーム色のミトンを作ろうと思う。
型紙から、でこぼこじゃない結びやすい白いリボンで。

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by anthology11 | 2008-05-20 03:59 | その他

ちりとてちん

いやーよかったよかった。
やっぱりハッピーエンドはいい。

実は私も
高校生の頃、お母さんのようにだけはなりたくないというような詩をかいた。
それを国語の卒論に…って、ひどすぎる。
詩を始めたのはその頃。
平凡な主婦にだけはなりたくないって。
母は優しく
「女性は結婚して家庭にはいるのもいいものよ」と言って
「絶対やだ」という私を心配そうにみつめていた。
それが今や、
家事やご飯つくり、Yシャツのアイロンがけをしているのが
好きになるなんて。
人間、ほんと変わるもの。
きっと、そういう風にできているんだろうな。

人生は走馬燈のようなんだろうな。
永遠で一瞬。
それを刻み込む。

さて、掃除だ掃除だ。

と、掃除を終え、更に_____
もちろん、こういう風に思えるのは、
ポエトリーカフェ武甲書店さんのロゴマークを描かせてもらったり、
詩の絵葉書をちらほらと扱ってもらっているからです。

自分の絵がお店の看板になっていることや、
自分の作った絵葉書を手にしてくださっている方がいるっていうことは、
すごく私の支えになっています。
そして、
秋田ポエトリーリーディングに参加させてもらっていて
いろいろな出会いがあることも大きいです。

専業主婦には違いないのですが、
専業主婦は、たまに(いやよく!?)社会から隔離されている という錯覚に陥ります。
それは仕事に出ていても自分の姿勢次第で陥ってしまうものでしょうが…。
とにかく、感謝しています。

それと、詩作について。
最近、家事や生活のほうが大事になってきて(やっとかい;^^)
詩や絵はやらなくてもいいなーと思うことがあります。
もちろん、漫画やTVをみるように、決してやめることはないのですが。

以前は、詩に命をかける!という姿勢でした。
その時に比べて…
今の姿勢の方が楽しんで詩作出来ていて、また、いいものも生まれてくるようです。
私の場合。
もちろん、生活や家事をほっぽり出して、無我夢中になった時期があったからこそ。

午後あたり、
ふたりのお母さんに連絡してみよう。
昔、言われても分からなかった言葉たち。
最近になって分かることがある。
ああ、お母さんの言ってたとおりだって。

目上の方の言葉は的はずれのこともあるが
殆ど当たっている。
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by anthology11 | 2008-03-29 08:39 | その他

おかしい日々

2月は…どうもおかしかったです。

どう って、今までになく変な感じでした。
新しいことに挑戦!?とはいえそれほどガツンと頑張れるものでもなく。
調子が狂いました。

明日から3月。
新しいことにも慣れていけそうな気がしてきたので
また目標をたてて進もうと思います。

きっと明日から区切りをつけて進まないと
もうずっと落ちていくだけになる。

どこかの穴に暫く隠れて籠もっていられるなら
または…
車に寝泊まりの日本一周の旅にでられるのなら
べつだけれど。
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by anthology11 | 2008-02-29 22:27 | その他

リフレッシュ

具合悪かったのですが、
家出気分で安比高原スキー場へボードをしに行ってきました。

珍しく晴れていてパウダースノーではなかったけれど
景色がよくて最高でした!

苦節4年…恐る恐るですが、
とうとう両方のターンで滑れるように☆
ひゃっほー最高☆何でも続けてみるものですね。
冬の山の木々、鈍色の太陽、広がる下界、小動物の足跡。

人間が山を切り開いて作ったスキー場。
傲慢なスポーツ。
共存して生きなくっちゃ。
山を使わせてもらうからこそ、楽しんだよ。
スポーツでリフレッシュしてきました。

帰って家事をしてます。
発熱しました~。これもまたよし。
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by anthology11 | 2008-02-10 18:32 | その他

それぞれのひとに

大事なひとがいる。

昔からずっと大事なひと。
この秋田で出会い大事になったひとびと。

大事になればなるほど
ことば と 彼らと向かい合う姿勢が難しい。

簡単に送れてしまうメール。
会って話すことば。

いかに大事か。
目をみつめて、ありったけの情熱を傾けて伝えればいい
ってものじゃない。

そのひとそのひとによって発することばも姿勢も変わる。
別に、騙しているわけじゃない。
自分に対しても嘘をついているわけじゃない。

メールを送った後・会って話した後
「あれでよかったのかな?」と振り返る。
大体は、深く考えなくても流れにのって進んでくれる。

でも、もう少し振り返ることをしていこう。
ひとりでめぐるんだ。
私はどんくさくって、頭で考えていてもぐるぐるするばかり。
なにかにかきとめようかな。

当たり前のことですが…
こんなことを、大事なひとびとが私に教えてくれています。
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by anthology11 | 2008-02-05 21:51 | その他

思い出

おはようございます。日曜なのに早起き。
雪も積もってないようです。

お古のゴーグルがとぅとぅ壊れてしまったので、セール中だろうしみにいこうかな。
でも高いんですよね。
年に数回しかしないボードのために一万って…安いのにしよう。

昨日、カフェ ラ モールへ なまはげら さんと行ってきました。
優しい素材のカレー美味しかった!ホットサンドも。珈琲もスフレチーズケーキも。
チルチルさんが4時頃いらっしゃって、「さぁ挨拶!」と颯爽とキメるつもりでした。
が、チルチルさんに「誰か傘忘れていきませんでしたか?」と言われて
は?
チルチルさんがわざわざまた階段を下りて傘立てから手にしていたのは…私の傘。
忘れていたことすら忘れていて(@@)
ご挨拶も忘れて退散。

仕込みを始めるチルチルさん。
自分で用意していたサプライズにアタフタ。
けれど、勇気を振り絞りきちんとご挨拶して参りました。
ので、ご安心下さいませ。
(チルチルさんは髭を剃って美青年風になっていました♪)

************
さて、新春ポエも昨日で区切りがつき、風邪をひきました。
なんだか、解放してやったためか(自分で自分を)いろいろと甦ってきています。
あんなことや こんなこと。 これが思い出というものなのでしょうか。

初めてのお仕事(バイトをのぞく)は、
横浜市内の、とある有名心療内科の医療秘書でした。

こころ からだ ことば に拘りをもっていました。
カウンセラーの資格が取れる学部にはあえて進みませんでした。
私を呼んでいるのは違う学部だったのです。

が、縁あって、優秀な心療内科医と出会うことになり
就職活動をおこなうなか、尊敬する医師の片腕となることを望まれ決意したのでした。
在学中、医療事務の資格を取りに専門学校へも行きました。

晴れて、医療秘書の道が開かれたのです。
病院の受付で、気分の悪い思いをしたことはありませんか?
内科でも外科でも歯科でもどの科にかかったかは関係なく、病気になった時、
受け入れ送り出す窓口は重要だと思います。

カウンセラーでなくとも
患者さんと医師をつなぐ心地好い窓口になろうと決めていました。
一生、この尊敬する医師についていこうと。

アパートで独り暮らしをはじめました。
6時には病院に行き、掃除をして仕事に臨みました。
真心ある窓口であったと思います。命を懸けて働きました。

けれど 信頼関係で結ばれていた偉大な医師と私の絆はほどけていったのです。
目に見え、手に取るように分かりました。

それは 私の未熟さだったと思います。
そして 彼の未熟さだったと思います。

人気の病院は患者が多すぎて、15分に8人予約が入っていました。
それが朝から晩までです。
それでも増えるばかり。
みんな必死でした。
カウンセラーもアロマセラピストも、事務員も、患者さんも、わたしも。

彼は優秀な医師でした。鬱病の方を何人も社会へ戻していました。力を与えていました。
でも、彼自身が病気でした。
人気の病院になればなるほど彼は狂っていったに違いありません。

今の私なら、
彼が私を求めていたように、
彼の右手になり左手になり足になり…助けられたと思います。
患者数を減らして、まず彼の健康を取り戻すこと。そんな勇気ある口出しも出来たでしょう。

数ヶ月後、先輩事務員のミスが私のものとされ解雇されました。

プライベートなんていらない、
人生をかけて望んだ仕事はあっと言う間に散りました。

裁判沙汰になりかけました。
解雇の場合は一ヶ月分の給料が支払われますが辞職にされてしまったのです。
敷金礼金・真新しい一人暮らし用の洗濯機やレンジ。
お金はどうでもよかったと言えば嘘になります。
でも一番痛かったのは、すり替えられてしまった気持ちでした。
裁判をおこさなくて本当によかったと思います。
それから私は、隣の住人の電話の声がまるぎこえの歪んだ5畳一間で、
友人と暮らしながら別の仕事に就きました。

何度も、病院で真摯に笑顔で働いている夢をみました。
今はもぅみません。
今は思います。
彼はどうしているか。病院は大丈夫だろうか。
窓口で人を救うだなんて尊大でした。
救っていたのは やはり彼でした。

彼を救えなかった。
違う、誰のことも救えやしない。彼のなかに飛び込んでいけなかったんだ。怖くて。
たくさんの人にもとめられて狂ってしまった孤独な人。

彼は きっと私を恨んでいる。
もし、この7年で彼を救うひとがでていなければ。
あの時の私は、あまりに未熟で純粋だった。
と、いうことは、人を狂わせ殺せもしたということ。

出会った時、かがやいていた彼が患者をおろそかにしていることが許せなかった。
真摯で純粋なわたしの姿勢は、彼を戸惑わせ疲れ果てさせた。

時に思い出す。
人生には、また巡り会うひと と 二度とは会えないひとがいる。
でも、思い出す。
思っている。
そして私は、思い出と話しながら進んでいく。
今だけじゃない。
過去によっていかされている。
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by anthology11 | 2008-01-20 08:49 | その他

応接間の<琴>

阪神大震災から13年だそうです。
お昼のニュースで知りました。
_____

この地震は私にはほとんど関係がない。
「ほとんど」ということは少なからず関係している。
たった今 気がついた。

5回?だけ会話を交わした父方の祖母は、私が中学生の時に死んだ。

「この人はまたえらい 縮れ毛やねぇ!みたことないわ。誰に似たんやろねー」
そんな風に言う父そっくりの、縮れ毛の祖母が嫌いだった。
「お婆ちゃんと一緒よ」なんて
抱きついていく天真爛漫とは対局の、髪の毛のようにひねくれた子供だった。

遠くに住んでいる祖母と、新潟の佐渡島に船で旅行へ行ったことがある。

それから何年か経って、
私の住む街、横浜中華街の高級料理店*萬珍楼*でも会った。
関西からわざわざ出てきた祖母の
疲れも・知らない大きな港町への気後れも・喜びも憶えていない。
印象に残っているのは「鯉の美味しさ」。
鯉なんて食べたことも食べられるモノとも思っていなかった。
こわごわつつくだけの私に、母がやさしく「たべてごらん」と促した。
ぱくん。
ふわふわでとびっきりおいしかった。
たくさんたくさん食べた。
みんなで「おいしいね。おいしいね」と言って食べた。
鯉の頭。豪華な異国のテーブル。壺。椅子。ソファ。
父も奮発したのだろう。
もちろん、祖母も美味しいと言っていた。

あれから時が経ち、大人になって自分の稼いだお金で何度か萬珍楼へ訪れた。
やはり、料理も絶品でレストランの外観も室内も豪華だった。
けれど、確かにここに祖母ときたように万華鏡の中には入り込めなかった。

13年前、芦屋の家は壊れた。
潰れたわけではないけれど歪んでしまったらしい。
祖父も祖母も死んだ後で、誰も住んでいなかったからどうということはなかった。

芦屋の家には3回程行った。
洋風の応接間。
真っ暗でだだっ広い2階の寒い部屋で寝るのが怖かった。

応接間には琴がおいてあった。
洋風の部屋に日本の楽器はしっくり収まっていた。

そっと布の上から琴を触った。
「これなあに?」
「おこと」
祖母はそう言って、さっと布を取り
袖をまくり上げ、爪に大きな爪のようなものをつけ
正座になって弾いた。

~さくら さくら 
  のやまも さとも みわたすかぎり
  かすみか くもか あさひに におう
  さくら さくら はなざかり

 さくら さくら 
  やよいの そらは みわたすかぎり
  かすみか くもか においぞ いずる
  いざや いざや みにゆかん     ~

私も少しだけ祖母の真似をして弾いてみた。
「習ったらええがな?」と音にひかれて集まってきていた
親戚のおじちゃんの誰かに言われたけど恥ずかしくて逃げ出した。


祖母の葬式を終えて、
芦屋の坂道をぐんぐんいとこのお兄ちゃんの車で昇っていった。
どこまでもどこまでも。
急な坂道には信じられないほどの豪邸がいくつもいくつも現れて
火葬場は天にあるのだと思った。

それから暫くして母から聞いたことがある。
「芦屋のお祖母ちゃんね、
 お爺さんに毎月決まった額だけを渡されて
 息子三人も抱えてもぅ二進も三進もいかなくなって
 うちのお父さんだけ連れて踏切に飛び込もうと思ったことが何度もあったそうよ」

祖母の家は、丘のずっと下にあって 天にはほど遠かった。
それでも父は、年の離れた兄二人と怖い父と芦屋のあの家で母に溺愛されて育った。
祖父が建てた夢の家。「芦屋」に拘り守り通した祖母。

あの琴はどこへいってしまったのだろう?
一度、母に尋ねたことがある。

散り散りになり誰も住まない歪んだ芦屋の家は、解体され財産分割された。

琴の行方を追うつもりはない。
ただ もう 音を弾くことはできない。
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by anthology11 | 2008-01-17 14:06 | その他

と、ある風の噂で、
小学校のM先生が亡くなったと知った。

先生は、私の担任じゃなかった。
色白で青髭さんで、運動音痴気味で、やさしいやさしい先生だった。

私の担任は反面教師のTだった。
すぐ赤面して林檎になる私を、あえてみんなの前で晒し者にした。
それくらいのことなら耐えられる。
Tから受けた衝撃はそんなものじゃすまなかった。

それはいいんだ。Tのことは。
私はTの生徒であったおかげで、歪んだ世界も渡ってこれたのだから。
今の私になれたのはTの暗黒面のおかげじゃないかって感謝すらしている。
_ _ _

M先生は、途中からやってきた、Tにつかわれていた。
子供ながら分かった。
Tはミニバスチームを全国優勝へ導いた経歴があるらしく、
すこしだけかっこよく見えた。子供ってそんなものでしょ?
M先生が情けなく思えたこともある。

Tは、クラスのちょっとしたスターだった私を目の敵にして、いじめてきた。
たしかに、生意気なガキだったんだ。
もう一人のマドンナを気に入っていたのかいないのか?ひいきしていた。
ことあるごとに、スポーツマンの私と成績優秀なNちゃんを比較して、私を嘲った。

_ _ _

なぜか、その時、私とNちゃんとTとM先生の4人だった。
体育館を出た水道のある辺りだったろうか・・・

Nちゃんと隣にいた私は、またTから暴言を受けるんだろうと、少し身構えてすらいた。
そんな私の手を
「ちょっとみせて」と言って
M先生は私の手をとった。優しく包むように。

TもNちゃんも、私も何事かと思った。

「細くて長いキレイな指をしてるね」
にっこり笑ってM先生はそう言った。

褒められることになれていない私は動揺した。
しかも、私の目の前にTが立ちはだかり、Nちゃんが隣にちょこんと座っているのに。
「あなた、ピアノ習ってる?」
こっくり頷いて、
「こういう手をしている人はね、
 ピアノが上手に弾けるんだよ」
M先生は、満面の笑みでつづけた。

私は手を引っ込めた。TがM先生を怒っている。Nちゃんもつまらなそうだ。

その夜、私は自分の手を見つめた。
信じられなかった。M先生、おかしな事言うなーって。
_ _ _


最後にM先生に言葉をもらったのは、
中学にあがり、校舎へ向かう道でのことだった。

遠くからTと歩いてくる。
恐ろしかった。きゃつと会いたくなかった。
Tが相変わらず何か言った。どうでもよかった。
別れ際に、
M先生は、
「じゃあ、がんばってね!」
最後に優しく力強く肩に手を置いてくれた。

_ _ _


M先生と話したことはあまりない。
思い出せるのはこの二回きりの会話。

M先生。
あれから結局、私はピアノをうまく弾けるようにはなりませんでした。
でも、この手で、詩や絵を描いています。
心をこめてかいています。

先生、ありがとう。
先生、どうしてですか?
ノイローゼって鬱病とかと違って、突然来て訳も分からずいってしまうんですよね。
よくよくよく 知ってます。
Tは、今では横浜の小学校の校長にまでのし上がったとか。
悪人世にはばかる。ってほんとかな。

私は、少しでも私を必要としてくれる人のために、生きたい。
私は死にません。
130歳まで生きるのが目標です。
不意の事故や病気は避けられないとしても。
出来れば、先生のように誰かを守りたい。
途中で死ぬのなら、守るために死にたい。

M先生を思い出す度、私は自分の手を見つめます。
忘れられない、ことば。
幾度となく、私を救ったことば。

先生。M先生。ありがとうございました。
出来れば、もう一度お会いしたかったです。

どんなに、あなたが素晴らしい教師であるかを
延々と語り通したかったです。

じゃ、そろそろ、シチュー用の牛乳を買ってきます。
少し急いで。
東北の夜は、もう凄く冷えます。
ひやりと、星が嘘みたいに瞬きます。
頬が冷たいです。
白い息みえますか?
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by anthology11 | 2007-10-16 18:10 | その他